
こんにちは、愛媛在住のユースケです!
僕たち愛媛県民にとって、道後温泉は単なる「観光地」ではありません。仕事で疲れた時にふらっと立ち寄る「生活の一部」であり、同時にあまりに歴史が深すぎて、地元民ですら全貌を把握しきれていない「巨大なミステリースポット」でもあります。
今回は、日本最古と言われる道後温泉に隠された神話、そしてあの聖徳太子が残した謎めいた足跡について、地元民ならではの視点を交えながら徹底的に深掘りしていきます。
愛媛県松山市にある道後温泉。その歴史は、驚くことに神話の時代まで遡ります。『万葉集』にも詠まれ、夏目漱石の『坊っちゃん』の舞台としても有名ですが、実はこの場所、「死と再生」にまつわる不思議な伝説の宝庫なんです。
1. 傷ついた白鷺(しらさぎ)が教えてくれた「再生」の物語
道後温泉の起源として最も有名なのが「白鷺伝説」です。
昔々、足を痛めて苦しんでいた一羽の白鷺が、岩間から流れ出るお湯に毎日足を浸していました。すると、みるみるうちに傷が癒え、白鷺は元気に飛び去っていったといいます。それを見ていた人々が不思議に思い、そのお湯に浸かってみたところ、病が治り、体力が回復した……。これが道後温泉の始まりとされています。
実は、道後温泉本館の屋上にある「振鷺閣(しんろかく)」の上には、今も一羽の白鷺が鎮座しています。地元の人にとって、あの白鷺は道後の守り神。 山内譲先生(松山大学名誉教授)が説く「瀬戸内の海民文化」とも通じますが、この白鷺の物語は、自然の恩恵を見出した先人たちの鋭い観察眼と、この土地が持つ「癒やしの力」を象徴しているんです。

2. 神様が病を治した?「玉の石」に秘められた神話
白鷺の伝説よりもさらにスケールが大きいのが、日本神話の神々、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の物語です。
ある時、少彦名命が重い病にかかり、今にも息絶えようとしていました。大国主命は彼を手のひらに載せ、道後の湯に浸して温めました。すると、少彦名命はたちまち元気を取り戻し、喜びのあまり石の上で舞い踊ったといいます。
この時、彼が踏んだとされる石が、現在も道後温泉本館の北側に鎮座する「玉の石」です。 現在でも、この石にお湯をかけて祈ると病が治ると信じられており、僕が行く時も、熱心に祈る参拝客の姿を絶えません。科学が発達する前、人々にとって道後の湯は「神の奇跡」そのものだったわけです。
3. 聖徳太子の「法興六年の来湯」と謎の碑文
さて、ここからが歴史好きにはたまらない本題です。道後温泉には、あの歴史上の超有名人、聖徳太子(厩戸皇子)が訪れたという記録がはっきりと残っています。
時は596年(法興六年)。聖徳太子は道後を訪れ、その素晴らしさに感動して、記念の碑(湯岡の碑)を建てたとされています。この碑自体は残念ながら現存していませんが、その内容は伊予国風土記の逸文などに記録されています。
そこで太子が残したとされる言葉が、非常に謎めいていて面白いんです。
「井のまわりに椿の木が茂り、まるで太陽を遮る傘のようだ。温泉に浸かれば、まるで天界にいるような心地がする」
太子は道後の風景を、仏教的な理想郷(極楽浄土)に見立てて絶賛しました。 しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。「なぜ、当時の超多忙な政治家である聖徳太子が、わざわざ四国の端っこまで温泉に入りに来たのか?」ということです。
単なる慰安旅行だったという説もありますが、一説には、当時の朝鮮半島情勢や国内の権力闘争から離れ、伊予の有力豪族とのパイプを固めるための「政治的外交」だったのではないか、とも言われています。道後は古くから瀬戸内海の海上交通の拠点であり、前回の記事で触れた「村上海賊」のルーツとなる海民たちも、この海域を支配していました。太子は、この海のエネルギーを感じに来たのかもしれません。
4. 皇室専用浴室「又新殿(ゆうしんでん)」の品格
道後温泉本館には、日本で唯一の皇室専用浴室「又新殿」があります。1899年(明治32年)に建てられたこの場所は、まさに桃山時代の建築様式を取り入れた豪華絢爛な空間です。
実際に中を見学すると(現在は保存修理工事の状況により制限がありますが)、天皇陛下がお召し替えをされる「御次(おつぎ)の間」や、最高級の石材を使った浴槽に圧倒されます。
ここで面白いのは、「一度も使われなかった浴槽がある」という噂です。 実は、最上級の設備を整えたものの、実際に天皇陛下がご入浴される機会は非常に限られていました。しかし、その「いつでもお迎えできる」という精神そのものが、道後が「日本随一の霊の湯」であるというプライドを支えてきたんです。
5. 地元民ユースケが教える、道後温泉の「深い」楽しみ方
ここで少し、愛媛在住の僕ならではの視点を。道後温泉を120%楽しむなら、本館だけでなく、最近新しくなった「飛鳥乃湯(あすかのゆ)」と「椿の湯」の使い分けが重要です。
-
本館: 歴史の重みと、夏目漱石が見た風景を感じる場所。
-
飛鳥乃湯: 聖徳太子の時代をコンセプトにした、現代のアートと伝統工芸の融合。
-
椿の湯: 地元のじいちゃん、ばあちゃんたちの社交場。ここが一番「リアルな愛媛」を感じられます。
道後温泉の泉質は「アルカリ性単純温泉」。刺激が少なくなめらかで、湯上がりの肌は驚くほどツルツルになります。これを地元では「美人の湯」と呼びますが、本当の凄さは、湯冷めしにくいその「保温力」にあります。
冬の寒い日、道後の湯に浸かってからハイカラ通り(商店街)を歩き、名物の「じゃこ天」をかじる。これ以上の贅沢はありません。
6. 保存修理工事という「100年に一度の奇跡」
今、道後温泉本館は大規模な保存修理工事を行っています(※2024年7月に全館営業再開しましたが、長らく工事の姿を見てきました)。 建物を解体・修理する過程で、明治時代の職人たちの驚くべき技術や、それ以前の建築の痕跡が次々と見つかりました。
山内先生が説くように、歴史は「層」になっています。道後温泉も、神話の層、太子の層、明治の層、そして今の私たちの層が重なり合ってできています。 今回の工事は、単なる修理ではなく、次の100年、200年へとこの「聖域」を繋ぐための神聖な儀式のようなものでした。
7. まとめ:道後温泉は「魂の洗濯機」である
聖徳太子がこの地を訪れてから約1400年。時代が変わっても、道後のお湯は変わらずに湧き続けています。
白鷺が傷を癒やし、神様が病を治し、聖徳太子が理想郷を見た。 道後温泉に隠された最大の謎は、その「不変の癒やし」にあるのかもしれません。どんなに世の中が複雑になっても、ここに来れば誰もが素っ裸になり、お湯の温もりに身を委ねる。これこそが、日本人が古来から大切にしてきた「再生」の儀式なんです。
愛媛に来たことがない方も、何度も来ている方も、ぜひ次は「聖徳太子がここで何を見たのか」を想像しながら、ゆっくりと湯に浸かってみてください。
きっと、明日を生きる活力が湧いてくるはずです。



コメント